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名古屋地方裁判所 昭和30年(行)6号 判決

原告 天埜佐兵衛

被告 西税務署長

訴訟代理人 宇佐美初男 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告が昭和二十九年三月十六日付被告に対してなした相続税確定申告の無効なることを確認せよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、原告は昭和十二年父天埜三郎死亡により、その所有にかかる名古屋市中村区船人町三丁目三番宅地百四十七坪七合五勺地上蔵建坪百八十四坪二合、同所三丁目十八番宅地百四十四坪九合三勺地上蔵建坪七十九坪八合を家督相続し、ついで右建物の部分のみ同年十二月頃原告の妻天埜隆子に贈与し、これが所有権移転登記を経由した。その後昭和二十六年右建物を貸借中の訴外愛知海苔乾物株式会社との間において、同会社が第三者に右建物を無断転貸する等の事情があつて紛争が生じたが、ついて右訴外会社にこれを買取つて貰うことになり、昭和二十七年七月十日頃、右建物を代金二百十万円で売買する契約が成立し、同日右隆子は代金二十万円、同年九月八日額面金百八十万円の小切手一通を受領した。ところが原告が代表社員である、不動産保有経営及び「あずまや」と称して料理業を営む訴外合名会社大阪屋が既に右代金中二百万円を隆子より借用し、料理営業用家屋の修理費等にあてる約があつて、昭和二十七年八月二日付隆子大阪屋間において、其の旨の金銭消費貸借公正証書が作成されていて、同年九月八日頃、右大阪屋は右金百八十万円の小切手の交付をうけたのであるが、修理すべき家屋が原告の所有であるところから、修理後の家屋の権利関係が複雑になるので、原告は右大阪屋から右金百八十万円をそのまま借用することとなり、その頃右小切手の交付をうけたのである。ところが昭和二十八年暮頃、西税務署長より呼出があり、右建物の売却代金の取得について調査があつたのであるが、出頭した原告は右金百八十万円の取得につき前記経緯を説明し右金員の取得は訴外合名会社大阪屋から借入れたものである旨再三説明したが、係官は聞き入れず、右百八十万円より生活費その他を控除した残九十万円については、隆子より原告に対する贈与であると認定し、贈与税の課税対象となる旨強硬に主張し、その旨の確定申告をなすよう強要したので、原告は強要せられるまま、これが納税義務ありと信じ、係官の作成した申告書に署名押印しこれが確定申告をなしたことになつたが、右九十万円については大阪屋からの借入金の一部であり、何等贈与税の課税対象となりえないので、右は原告の要素の錯誤に基く申告行為というべく本来無効のものである。かりに原告の右九十万円の取得が妻隆子よりの贈与であるとしても、昭和二十五年十二月十一日国税庁長宮の国税局長あて相続税取扱通達第三十七に、「親族、雇用者その他特殊の関係がある者の間において、預貯金、株式等の名義の変更があつた場合又はこれらの者の名義で新たに株式を取得し、若しくは預貯金をした場合においては、これらの行為は、原則として贈与として取り扱う。但し、その名義の変更又は株式等の取得が、左の各号の一に該当するような場合はこの限りでない。(一)省略、(二)配偶者、親子、祖父母と孫の間においてなした名義の変更につき、既に相続税の課税を受け、その後、その課税を受けに名義変更に係る財産の名義を再び前の者の名義とした場合、(三)省略、(四)親族、雇用者その他特殊の関係がある者の名義によつて取得した株式又は預け入れた預貯金を売却又は払戻を、当該売却代金又は払戻金額を現実に株式取得代金の負担をした者又は預貯金をした者に帰属せしめた場合」とあり、右通達は不動産の名義変更の場合をも包含すること解釈上明らかである。従つてかつて原告名義の前記建物を妻隆子名義に変更し、相続税の課税をうけた後、建物の売却代金を原告が取得した場合には、建物に代る売却代金を原告名義にした場合であり、当然相続税法上は贈与と看做すべきでないと謂うべきである。即ちこの場合にも原告は本来何等の贈与税の納税義務がない場合に該るのであるにもかかわらず、これありと信じて前述のとおり確定申告したのは要素の錯誤に基ずくものである。かりに以上の主張も理由がないとしても、原告が前記建物の名義を妻隆子名義に変更したのは、原告がこれを亡父天埜三郎より家督相続した後、同人の妾から、右建物はかつて父三郎より生前贈与をうけたものであるとの申入があり、種々紛争が生じた結果一応解決はついたのであるが、原告は今後もかかる紛争の起ることを虞れ、右建物を昭和十一年十二月頃、隆子に仮りに贈与したのであり、右は原告、隆子間の虚偽表示に基くものであるから、実質上の所有者は依然として原告であるというべく、これが売却代金を原告が取得したとしても、これに対し何等贈与税を賦課すべき筋合でない。即ちこの場合にも、原告は本来贈与税の納付義務がないのにもかかわらず、これありと信じてなした点要素の錯誤に基く申告行為であるから、本来無効のものであるが、以上何れにしても、原告が昭和二十九年三月十六日被告に対してなした、原告が妻隆子より金九十万円の贈与をうけた旨の本件相続税確定申告は本来無効のものであるから、原告は被告に対しこれが無効確認を求めるため、本訴請求に及んだものであると述べ、被告の主張事実を否認し、

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告がその主張日時頃、主張にかかる建物を、亡父天埜三郎より家督相続し、ついでその名義まを原告の妻隆子の名義に変更したこと、右建物が原告主張の頃、訴外愛知海苔乾物株式会社に代金二百十万円で売却されたことは認めるが、その余の原告主張事実は全部否認する。訴外合名会社大阪屋は原告を代表社員、妻隆子を社員とする所謂同族会社であり、相互に消費貸借等をなす事実上の必要は全然ないのであつて、隆子大阪屋間の金銭消費貸借公正証書には隆子の代理人たる早川清一の捺印がなく、また昭和二十七年度における右大阪屋の法人税申告書等に添付された貸借対照表(昭和二十九年五月三十一日現在)によると、大阪屋の借入金は金六十万円であつて、原告主張の借入金百八十万円は計上されておらず一方大阪屋の貸金は金三十一万円計上されているに過ぎない。

然るに大阪屋の当時の現金出納帳(甲第二号証)によれば、大阪屋は金百八十万円を原告に貸した如く記載され、更に右金員は大阪屋が隆子から借用したものとなつておらず、訴外愛知海苔乾物株式会社から借用した如く記載されてあつて、原告の主張は明らかに虚偽に充たされている。のみならず昭和二十八年暮頃大蔵事務官古川覚の調査の際には、隆子は本件売却代金二百十万円のうち、金六十万円は大阪屋に貸し、金三十万円は同人名義の家屋新築費に、金二十八万円は生活費にそれぞれ費消し、残九十万円は原告個人の貸借の支払にあてたと申立てたので、係官もそれを確認のうえ、右売却代金中右九十万円については、隆子より原告に対する贈与として課税対象になるから、その旨申告をなすように慫慂したところ、原告は昭和二十九年三月十六日右趣旨の相続税確定申告書に署名し、指環に刻した印鑑を押捺したものであつて、明らかに原告は右九十万円の取得につき妻隆子より贈与をうけたものである。また、原告主張の相続税取扱通達第三十七は、本来名義変更の頻繁になされる可能性の多い預貯金及び株式等有価証券のみに適用あるものであつて、不動産の名義変更の場合を包含する趣旨でないことは明らかであるから、その然らざることを前提とする原告の主張は理由がないものである。また原告隆子間の前記建物の名義変更が虚偽表示に基く仮装のものであつたとしても善意の第三者たる被告に対し其の無効を主張しえないものである。

以上何れにしても原告のなした本件相続税確定申告が要素の錯誤に基くとの各主張は理由がないものであるから、原告の本訴請求は失当であると述べた。

〈証拠 省略〉

理由

原告が、昭和二十九年三月十六日被告に対し金九十万円の相続税(贈与税)確定申告をなしたことは当事者間争がない。原告は右申告行為は本来存在しない納税義務についてこれもあるものと信じてなしたとの要素の錯誤に基ずくものであるから、無効であると主張するので、先ずかかる公法行為の錯誤の問題について、考えてみるに本来相続税法において、申告納税制度を採つているのは、納税者に自ら納税額を計算させ、それを納税させることにより税収の迅速適正を期することにあつて納税者の意思の尊重を基調とするものであるからもしその意思が表示と一致しないときは、これに関し民法の分野における意思主義の原理がこの場合にも妥当し、民法の錯誤に関する諸規定が類推適用あるものというべく、以下原告の主張する要素の錯誤の事実ありや否やについて判断を進めてみる。尤も原告は元来事実そのものについて錯誤を主張するものでなく、終始贈与の事実の無かつたことを主張し、そのことより納税義務観念について錯誤を生じたと主張するものであるから、結局贈与の事実の有無について判断することになる。さて原告がその主張日時頃、主張にかかる建物を、亡夫天埜三郎より家督相続し、ついでその名義を原告の妻隆子の名義に変更したこと、及び右建物が原告主張の頃、訴外愛知海苔乾物株式会社に代金二百十万円で売却されたことは、当事者間争がないところ原告は妻隆子が右代金中二百万円を訴外合名会社大阪屋に貸与することとなり内金百八十万円を交付し、その金百八十万円を更に原告が大阪屋より借りうけたものであると主張するので、按ずるに、この事実に沿うが如き証人浅野春子、原告本人天埜佐兵衛の各供述は存在するが、右は当裁判所の措信できないものであり、却つて成立に争ない甲第三号証乙第二号証の二に証人古川覚の証言により成立の真正を認めることができる乙第一号証の二及び証人古川覚の供述を綜合すると、原告は、昭和二十七年九月八日頃、前示建物の売却代金の一部として金額百八十万円の小切手を買主たる訴外愛知海苔乾物株式会社より交付をうけその翌日株式会社千代田銀行中村支店における原告の普通預金口座に払込み、うち金六十万円は訴外合名会社大阪屋に貸与し、金三十万円は隆子名義の建築費に費消し、残金九十万円は原告所有家屋の補修費及び原告個人の債務の支払に充当した事実を認めることができるから、原告の右金九十万円の取得は実質的に隆子よりの贈与であると看ることができる。成立に争ない甲第一号証原告本人天埜佐兵衛の供述により成立の真正を認めることができる甲第二及同第四号証は存在するけれども、証人浅野春子の供述によれば、訴外合名会社大阪屋は原告を代表社員とし、妻隆子、子雅弘、隆子の妹浅野春子を社員とする所謂同族会社であることの事実、昭和二十八年五月三十一日現在作成の右大阪屋の貸借対照表(乙第二号証の二)によれば、昭和二十七年度における大阪屋の借入金が六十万円であり、貸金が金三十一万円であるとの記載が存すること、又大蔵事務官古川覚の調査にあたつては、原告が同人に対し本件建物売却代金の使途については前記認定の如く申し述べ乙第一号証の二は右陳述に基ずいて古川覚が作成したメモである等の事実に対比して、右書証の各存在は前記認定を覆し、原告の主張事実を認めしめるに足るものとは謂い難い。さて次に、昭和二十五年十二月十一日国税局長あて国税庁長官の相続税取扱通達第三十七に関する原告の主張について按ずるに右通達は、元来、相続税法第四条乃至第八条に規定する場合を除き対価を支払わないで利益をうけた者がする場合に、その利益をうけた者がその利益に相当する金額を、その利益をうけさせた者から贈与によつて取得したものとみなして、相続税を課税せんとする同法第九条の取扱に関する通達であること、明かであると共に、右通達第二号及び第四号は親族雇用者その他特殊の関係がある者の間において預貯金、株式等名義の変更がなされた場合、当該株式等の前の名義人若しくはこれが取得代金の負担者又は当該預貯金の前の名義人若しくは現実の預貯金の預入者の名義に復帰したとみることができる場合には、特に相続税法上贈与とみなさない趣旨であるのみならず、右通達が特に不動産の名義変更の場合を含むことを明文を以つて規律しない点からみても、本来行政宮庁内の事務取扱上の準則にしか過ぎない本通達について、拡帳又は類推解釈をなすことは厳に戒むべきであることを併せ考えると一定の身分関係ある者の間における名義変更が預貯金株式等程頻繁に行われない不動産の名義変更の場合を特に除外しているものと解すべきである。従つて原告の妻隆子名義の前記建物を再び前名義人たる原告の名義に変更することはもとより、この売却代金を原告が取得した本件の如き場合については、右通達に該当しないものというべきである。依而上述と異る見解に基き本件贈与の事実のないことを主張する原告の主張は理由のないものである。さて最後に隆子名義の前記建物は原告と同人間の虚偽表示に基ずく単なる名義変更であり、実質の所有者は原告であるとの原告の主張事実について考えると、右事実に沿うが如き原告本人天埜佐兵衛の供述は存在するが、成立に争ない甲第一号証が作成されている事実に証人古川覚の証言により、成立の真正を認めることができる乙第一号証の二に、証人古川覚の供述を併せ考えるときは、右建物は原告が真実妻隆子に贈与する意思を以てこれが名義の変更をなしたとの事実を認めることができるのである。従つてその然らざることを前提とする原告の主張は理由がない。

かようにみてくると、原告の金九十万円の取得は妻隆子よりの贈与であるということができる。尤も右九十万円のうち一部は原告個人の債務の弁済にあてた事実が存するも、かかる関係において別段主張も立証もない本件の場合においては、前段認定のとおり原告の右九十万円の取得を以て相続税法上の贈与として、これが贈与税の課税対象となしうることは明らかであるから、これが納税義務のないことを前提とする原告の主張は、すべて理由のないものであり、原告が昭和二十九年三月十六日これが納税義務ありとして被告に対しなした本件相続税確定申告行為は有効のものであるということができる。

そこで原告の本訴請求は失当として棄却することにし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川力一 村本晃 山田義光)

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